父親が一家の大黒柱的思考



私の父は、私が小学校に入学する前だろうか、

母の意見を全て無視して父の両親が住む家の隣に家を建てた。



母は賛成していなかったようだが、

父は「住んでみなきゃわからないでしょ」

と言い、強引に引っ越したそう。


冷静に考えて

住んでみるというのは家を買って建てることであり、

1度住んだら半永久的に

そこに住み続けることはわかるのだが、

悪影響を受けているのは母だけではない。


私たち子供まで多大な影響を受けている。


なぜなら、

地元に全く用がないのだ。


用事の8割以上は東京なのに、

そこまで2時間強かけて行かねばならない。


そして特に用のない地元までまた2時間強かけて帰らねばならない。


電車に長時間閉じ込められ、

精神的にしんどいし、

エコノミークラス症候群になるのではと思うくらい

座り続けている。


なぜこんなことになったかというと、

父がマザコン、もしくはファザコンだからであり

どうしても親の元を離れたくなかったのだろう。


それ自体はなにも悪いことではない。


しかし、それを言うなら母の両親のことは

何も考えなかったのだろうか。


そこが疑問だ。


自分さえよければいいという思考回路で、

母、そして子供を負け添えにし、

辛い思いをさせている。


しかし指摘すると激昂し、

感情論だけで圧殺しようとする。


だからみんな黙っている。


しまいには

「おれの金だ」と言い、

みんな唖然。


お金を稼いでいるから

父のやりたい放題という思考は

私は正しいと思わないし、

女は家事をやってれば良いという思考も

今の時代、不適切だ。


うちはその古い風習の典型だ。


この考えは、

国をダメにし、

家族をダメにする

危険な思考だと思う。


なぜなら、現代において、

少子高齢化、人口の減少が不可避と言われる中で、

女性が働きやすい社会の実現を、

国として進めている。


女性も正社員として働ける社会を作ることが

労働力、生産量の減少を食い止めるだろう。


しかし、こうした父が働き、母は家事といった風習を

頑なに変えない家族は、国の政策に背いているし、

経済の減速をもたらしている。


更には家族にとっても良い影響はないだろう。


家族にとっても母が正社員として働いたほうが

給料は明らかに増えるのだ。



そう考えるとやはり

住む場所はもっと考慮すべきだし、

休日にでも父が一人で親の元を訪ねるなりすれば良いと思う。


これだけ家が遠ければ仕事のパフォーマンスにも影響を及ぼすだろう。



父が独占的な権力の欲を持っている限り、

時代はなかなか変わっていかない。



金を貰っているから偉いという思考回路自体がそもそもおかしくて、

金を貰っているから仕事を続けているのだと思う。

対して家事というのは無償で1日10時間以上全てをこなしているのであって、

今ではパートも重なりかなりの負担がある。

給料はないのにここまでできるのと

どちらがすごいか、という話である。


もっと合理的に考えられる

環境で育ちたかったと思う今日この頃。



今後生きていく上で

 

私の人間性がなぜ今のように形成されたかというと、

親による育てられ方が大きく影響しているように思う。

 

私が悩むのは

周囲の視線が気になってしまい、

やりたいことがやりにくいということだ。

 

これは子供の頃に

親の支配のもとで育てられてしまったっことが

あるのではないかと思っている。

 

親は勉強を真面目にやれば良い、

決まりは必ず遵守みたいなことを子供に叩き込み、

私は他のことをあまり挑戦できなかったと思う。

 

だから知らないことが多い。

 

父親は一家の大黒柱的な保守的考えを持っており、

家事は母親という考えを持った昔の典型的な価値観を

頑なに崩さない。

 

そういった思考を持っているため、

父親の言うことは絶対だと本人は思っているのかもしれない。

 

そうすると何が起きるか。

 

父親による家族の支配が始まるのである。

 

家事は母親がやれば良いという考えが子供にも

押し付けられ、母親は家から好きに出られない。

 

子供は勉強をやれば良いという考えから、

ゲームは毒とらえ、やっている姿を目撃次第、取り上げられたり

怒られる、ゲーム脳だと悪口を言われるといったことがあった。

 

おかげで今、周囲が誰もがやったことがあるであろう

ゲームの話にはついていくことができない。

 

 

かつて私は負けず嫌いで子供の頃は悔しい思いをした時に

涙が出てしまうことがあった。

 

父は男が涙を流すのは親が死んだときだけといい、

私が泣いた時は怒り、暴力で圧殺するといった育てられ方をしてきた。

 

その影響か、私は感情の起伏が年々無くなってきていることを感じた。

 

悔しさもそうだが、嬉しさも人と比べて強く感じないような気がする。

 

そして感情の表現が上手くできない大人になったように思う。

 

さっきのゲームの話と合わせ、

勝ち気というものが薄れてしまったというか、

ほとんど持てなくなっている。

 

 

一番気になったのは父の嫌味だ。

 

何かをするたびに監視されてるのかという勢いで

深入りし、父の理想、思いとずれた部分に関して

嫌味、悪口を言われ続けてきた。

 

 

格上のチームと戦う時は

初めから勝てないと決めつける。

 

目標を高く設定すると

無理だと決めつける。

 

せめて家族だけでも応援してほしいものだった。

 

そういったところも

子供にとって悪影響を及ぼしたと思うし、

限界を自分で作ってしまう人間に育ってしまったかもしれない。

 

散々可能性を潰されてきたわけだ。

 

 

ようは個性を伸ばす教育が一切なされていなかった。

 

むしろ個性を潰され続け、

やりたいコトがすぐにできない人間になってしまったと思う。

 

 

いちいち親の反応をうかがってしまう。

 

しまいには外へ出ても

周囲の反応をうかがってしまうようになった。

 

 

父は言葉による説得が上手くはないので

子供の時に

感情、暴力で支配されてきた。

 

 

だから自分の考えで動くことに

恐怖を感じるし、やる前に悩んでしまう

傾向があるように思う。

 

 

こんなことをここに書いたのは

なんとなく最近、ふとした時に

モヤモヤしてくる事柄であったためで、

どこかに書くことで少しでもすっきりすればいいなと思ったからである。

 

 

とはいえここまで育ててくれた親には

感謝してるし、

就職して迷惑をかけないようにならなければならない。

むしろ恩返しをしなくてはならないと思っている。

 

 

ここまで来てしまったのだ。

今更ブーブー言っても変わることではないので、

これからは自分でこの状況、

どう変えていくかを考えるのが最善であろう。

 

 

周囲を気にしない生き方をするためには

どうすれば良いのか、

引き続き考えていきたい。

 

 

休日を有意義に使いたいところなのだが、

やはり何をするにもめんどくさくなってしまう。

 

なぜかといったら、

家から最寄駅、都内が遠すぎる。

資金にあまり余裕がない。

特にやらなくてはならない用事がない。

 

この3つだ。

 

昼に起きて都内に出ようと思うと、

ついた頃には夕方だ。

そして都内に出たところで

特にやることはない。

なのに数時間かけてしんどい思いして

わざわざ行く必要はあるのだろうか。

 

資金については、私が単にケチなだけ。

 

用事が特にないのが深刻な問題。

来年から働くことになる手前、

これだけ暇を持て余していることは幸せなことかもしれないのだけれど、

何かやりたいのにそれが見えてこないことに

非常にモヤモヤしている。

 

 

遠くへ旅行に行ったり、

フェスに行ったりなんてことをしたかったのだけれど、

そこまでの資金的な余裕はなかったし、

しかし今年が最後かもしれないと考えると

どうしても悔やまれる。

 

 

一つやらなくてはならないことを

たった今見つけた。

 

それは卒論だ。

 

しかしテーマも何も決まっていないし、

大学の図書館であれこれしなきゃいけない。

 

大学が遠くて億劫になる。

 

私がなぜダメなのか。

 

これを書いてわかってきた。

 

言い訳をいちいちしようとする癖だ。

 

こんな奴はいつまでたっても三流だ。

 

やると決めたらすぐやる人間にならたい。

時間と金の圧倒的乖離

 

おひさ。

 

夏休み。

 

オリンピックもサッカーは始まり、

ナイジェリアに敗れた。

 

点がたくさん入ったので見ごたえはありました。

 

 

学生最後の夏休みではあるが、

暑くて外出するのが嫌になる。

 

就活を終えたら色々やりたいことがあったのだけれど、

ほぼ何もできていない。

 

圧倒的に暇な時間が多い。

 

考えられる理由は、

1お金がない

2もともとアクティブな人間ではない

3これといった趣味がない

 

ここらが妥当だろう。

 

とりあえず資金を得るために

バイトを始めたのだけれど、

思うようにシフトに入れない。

 

まあ最初はこんなもんなのか?

 

今働いたところで給料が入るのは9月終りだ。

 

夏休みは終わってしまう。

 

いくらバイトを今月頑張ったところで、

大した金にはならない。

 

そんなことに夏休みを割くべきではないと思いながら、

かといって金がなければ何もできないし出かけられない。

 

親に金を借りてでも学生のうちにできることはするべき

なんて意見もあるかもしれないが、

今まで散々借りたし迷惑をかけている手前、

そうもいかない。

 

そして私よりも親の方が趣味がある。

ぜひ楽しんでもらいたいところだ。

 

 

少しポジティブに考えると、

こうやって怠惰な時間を好きなだけ

過ごすことができるのも今だけである。

 

有り余る時間と圧倒的に足りない資金。

 

就活の精神面だけでなく、経済面におけるダメージの大きさたるや。

 

 

私は毎日目的もなく過ごす羽目になってしまったわけだけれども、

これは私自身に問題があるとしか言いようがない。

 

日々何も考えず過ごしてしまっていることが一番の問題であると考える。

 

少し考えればやることはたくさんあると思うのだ。

 

今の思いつきで幾つか挙げてみようと思う。忘れないように。

 

資格勉強

プログラミング

バイ

旅行、イベント

ドライブ

彼女と出かける、プレゼント

 

こんなところか。

基本的に何をするにもお金がかかる。

そうすると優先すべきはバイト。

 

しかし大したお金にはならないし、

時間の方が貴重だと考えれば

バイトより効率的な稼ぎ方はあるだろう。

 

断捨離してものを売るか。

実際なくても困らないものがほとんどだ。

あとは勇気のみ。

 

資格勉強が教材が揃っている今最もお金がかからないのだけれど、

働くようになったら嫌でもやる羽目になる。

これを今の貴重な時期にやるのはナンセンスだと思いながら

他のことがなかなかできないので少しやっている。

 

まあ損もないだろう。

 

今やっておくべきこと。

なんだろう。

優先順位をつけていくか。

 

それよりも卒業から逆算していく方が思いつくだろうか。

 

金があるに越したことはないんだよな。

 

逆算しても一番必要なのは資金だろう。

 

時間がもったいなく感じるが、

地道にバイトするしかないな。

 

こんなことを書いてる時間ももったいない。

 

これ書いて収入になればいいけど。

 

株をやるにも金が必要。

 

マジでCDから全部売ってみようかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼんやりとした不安

 

 

まさにその状態。

 

早くスッキリしたいという気持ちと、

新しいことを初めて刺激的な日々を過ごしたい気持ち。

 

目の前の大きな壁が立ちはだかっている。

 

それを乗り越えた先に眩しい光が見えている。

 

ただ道のりは非常に険しい。

 

やれることをやり切るしかない。

 

 

 

失速

 

またまたお久しぶりです。

 

一時的な意識高い生活から

失速し、今はダラダラする時間が多いような気がします。

 

おそらく就活が原因なんだろうけど。

 

誠にお恥ずかしい話ではあるが

私は神経質な人間だ。

 

次の日に面接の予定があったりすると

他のことが考えられなくなってしまう。

 

面接で言いたいことは言えるだろうかと不安になり、

準備を周到にやってしまう。

 

結果、本番では中途半端に暗記してしまい、

応用が利かず、暗記してきたことを不自然に話してしまうという失敗が多いと思う。

 

面接本番となるとおのずと頭は回転して

何かしら言えるんだからもう少し安心するべきなんだろうなあ。

 

一番嫌なのは志望動機と自己PRを聞かれること。

ESに書いたのだから聞かないでくれ。笑

 

まあ、頑張ります。

何とかなるでしょう。

 

お久しぶりです。ここ数日、、

 

ちょいちょい就職活動をしているのだけれど、

どうも楽しくない。

 

理由は、一つに限られていると思う。

 

それは、お金にならないからだ。

 

お金はもらえないし、

説明会に参加しないと選考に参加できないよという理由をつけて

長時間座らされ、同じ業界であればだいたい同じような話を聞かされる。

もう飽きたし、こんな生産性のないことをやっていて本当にいいのかと

不安になる時間が最近は多い。

 

生産性のないことというのは、

例えば手書きの履歴書がこれにあたる。

 

なんという原始的なことをさせる企業なんだ、と思いながら

気が向けば書いている。

 

現代はネットという非常に便利なツールがあり、

履歴書はネットで書いてしまえば

1度に複数の企業に提出できる。

就活生からしたら大幅な時間とコストの削減になるし、

企業側は字が下手くそな人の履歴書であっても

難なく読めると思う。

 

これぞWin-Winというものだ。

 

いつまでもアナログな手法を

就活生に課してくる企業は明らかに時代に遅れてるんじゃないか

と考えてしまうし、そんな企業に未来はないと判断してしまう。

 

判断材料があまり多くないため仕方のないことである。

 

就活してもお金はもらえないし、

ただ交通費だけ吸い上げられていく毎日。

 

お金になくてできないことってたくさんある。

例えば、息抜き。

たまには美味しいものを食べたいし、

たまには飲みに行きたい。

 

面接なんかで働けるかどうか判断できる

超能力者人事がいるのかわからんけど、

とりあえず働かせればいいんじゃないかな?

 

はっきり言って、就活してる時間って

あまり有意義じゃないし、

就活中に身につくことって、

実際に働いた方が圧倒的に早く身につくと思う。

 

こんな滑稽な新卒一括採用で一斉にダークスーツを着て、

街を彷徨う一人になっていること、

非常に情けなく思っている。

 

そしてこの仕組みが当たり前だと思っっている

大半の学生は今まで何も考えず

レールに従って生きてきたのだろう。

 

常識って、勝手な思い込みであることが多いと思いますよ。

 

就活してなければ今頃プログラミングか何かの勉強したり、

株やってみたり、いろんなことできるのに。

 

全てが滞り、しまいには内定すら得られず、

この1年間はなんだったんだとなってしまうかもしれない。

 

こんなこと言っておきながら、

時間対効果の低い就活を

私もやっています。。。